2005年8月9日

長崎原爆の日60周年に向けて

SATA Foundation
代表 佐 多 保 彦

2005年8月9日(火)午前10:30長崎市の浦上天主堂で、被爆マリア像が60年ぶりに聖堂に戻る式典が行われます。詳細はhttp://www1.odn.ne.jp/uracathe/hibakumariachapel.html

式典は、1945年8月9日に長崎に原子爆弾が投下された60周年の日に行われます。ちょうど60年前のこの日、国際法では武力攻撃の対象としてはならない宗教施設の浦上天主堂は爆心地の近くにあった故に原子爆弾で破壊されました。被爆マリア像の胴体は7万人の長崎市民の生命と一緒に失われましたが、頭部は奇跡的に破壊を免れました。運命的な悲劇の日を経験された7万5千人の被爆者の方々と共に、武力衝突の残虐性と無差別性に反対する象徴となりました。被爆マリア像は人間の愚かな行いと科学の誤った使用によって引き起こされた悲劇を悲しみ、そしてその被害者として、世界の平和と人道主義を無言のうちに懇願しています。

被爆マリア像を本来あるべき場所に返そうという難しいキャンペーンを数年間に亘り続けて来た私にとって、今回の帰還は大きな喜びとなります。今度は被爆マリア像が、1996年にUNESCOの世界遺産に登録された広島の原爆ドームの様に、世界平和の象徴にしたいと思います。世界中の2万人以上の方が、被爆マリア像にはそれだけの意味があるという私の意見に応えてくださいました。

第二次世界大戦はどちらが正しくて、どちらが間違っていたかを責めるのではなく、原子爆弾のような革新的科学の成果は、良心と正義の心で使われるべきだというのが私の固い信念です。なぜ長崎が選ばれたのでしょうか? それは単に当初の目標だった小倉市に近く、小倉市がその日、その時刻に雲量が多く、爆弾を投下できなかったからに過ぎません。そしてたまたまその時、長崎の中でも爆心地周辺に雲間があったため、B-29が原子爆弾を投下したのです。さもなければ、その爆弾は海に投棄されていた筈なのです。革新的科学も、この様に危なっかしい人間の判断に委ねられ、そして人類には科学を無作為に、あるいは正当な理由無く使用してしまう可能性があるのです。

被爆マリア像によって私は、科学が人類に役立つように使われ、戦争の道具にならないように尽力しようと思い立ちました。戦争がなければ、国家の収入は健康や教育そして公共の福祉に費われます。それが故に私は、スイスのルツェルン市に、特定の政府、党派、政治、宗教に属さない非営利団体として、「科学は人類の平和と幸福のためにこそ」をモットーにSATA Foundationを設立しました。SATA Foundationは、文化、宗教、信条の違いにかかわらず、平和の価値に対する人々の理解を啓発し、より素晴らしく、より人道的な世界の実現を追求します。さらに、人権向上への取り組みとして、世界中の人々により良い医療を身近に提供するプロジェクトを推進します。

財団はその使命として、戦争の惨禍に見舞われた途上国の人々を対象に、地雷の犠牲者の義肢を製作し装着させる訓練を無償で行うプロジェクト、貧しい人々への無償の医療提供、武力紛争のために学習の機会を奪われた人々の教育、国際法の啓蒙活動など多くのプロジェクトに資金援助をしています。私たちの財団は、今後も人道主義に則った事業、プロジェクトのために、世界中から支援要請を受け付け、援助して参ります。

私たちの事業は皆様のご支援によって支えられています。多少にかかわらずご厚志を頂戴できましたら幸甚に存じます。

ご寄付の送金先は次のとおりです。
サタ ファウンデ−ション:三井住友銀行 本店営業部 普通 200-9481436
クレジットカードもご利用いただけます。詳しくはinfo@madonnagasaki.org.までお問い合わせください。領収書がご入用の場合には発行いたします。


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